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ヒツジ飼いの冒険
第1話 プロローグ

何を持っていき、何を持っていかないのか。

旅の準備で、最初に取りかかる作業だ。旅への期待が多いほど、荷物も多くなってしまうかもしれない。

旅の経験が少ない分スキルは少ないから、何を持っていくべきかわからない。

しかし彷徨い歩き靴底も減ってくるころには、くだらないものは手放し荷物は減ってくる。

人生に必要なモノ、必要のないモノ。

それは旅が教えてくれる。

この物語は、どこか遠い惑星を旅したヒツジ飼いの冒険譚である。

 

プロローグ

すべてのはじまりは1冊の本との出会いだった。

黒い革が表紙になった百科事典ほどの厚さがある本。

中に描かれているのは印刷ではなく、青いインクによる手書き。

いくら保存状態がいいとはいえ、活版印刷が発明される以前の著作物とは考えにくい。

ゆえに「単なるノートではないのか」と言った者もいた。

だが多くの者はそれを「本」と呼んだ。

「本」が発見されたのは古道具屋だった。

家の解体を行う前に買取業者が値のつきそうな古物を回収する。その中に「本」があった。

革張りの立派な装丁の「本」を書棚に確認すると業者は中身を確認せず、古本屋ではなく古道具屋に売り先を選んだ。

もしこのとき古本屋に持ち込まれていたのなら、この「本」は本として扱われず、早くから消え去っていたかもしれない。

古道具屋に売られたからこそ、「本」は数奇な運命を辿った。

 

あるとき歴史学を研究する三田教授が定期的に立ち寄る古道具屋で、その「本」は見出された。

この古道具屋は運ばれてきた物は何でも並べる、目の利かない店主が経営していた。

三田教授は、その目利きでないところを大変気に入っていた。

 

歴史学はあるものをないとし、ないものをあったかのように創造し、いかがわしくも証拠付け、まわりを納得させるペテンのような学問。

研究者によって解釈は異なり、時代によっても都合よく解釈を変える。

 

研究者を黙らせることができる解釈ができれば正解とする。

三田は自分の専攻する学問をそんなふうに捉えていた。

 

あの古墳は誰それの墓との言い伝えが残る。

古墳の作られた時期よりずっとあとに編纂した伝承をまとめた文献によって、確たるごとしと決定づけるのが歴史学。

 

考古学も歴史学と同じくこじつけだ。その違いは文献か、遺物かの差。

エジプトだろうがメソポタミアだろうが、ひとところから出土されれば、所有者は同一人物とみなされる。

それも広い意味では間違いではないだろう。

 

棚に並んでいる物、ガラスのショーケースに飾られている物、少なくとも、この古道具屋ではひとところで結ばれ、現在の所有者は間違いなく同一人物だ。

そこに買取業者の思惑やそれ以前の歴史は含まれていない。

歴史に無縁そうで、真贋にも関係ない、古そうなものなら何でも買い取り、無造作に並べているこの古道具屋を、三田はこよなく好んでいた。

店内に置かれた古物を眺め、それぞれの結びつきをじっくり考える。

何らかの類似点が見出せた古物を眺めては「果たして持ち主は同一人物だっただろうか」と思いに耽るのだ。

推理推測がはじまり、何とかこじつける。

突出した解釈ができなければ、三田は廃業しなければならない。

仕事ならば廃業となるが、趣味で立ち寄っている店。

 

凡庸な答えを導き出しても仕事を奪われることはない。

大いなる安息の地。それがこの古道具屋だった。

そこで三田に見出されたのが新入荷されたばかりの「本」だった。

 

業者は解体する家からトラック一杯分の古物を選りすぐり、「本」も一緒にここへ持ち込んだという。

だが店に並ぶどれとも似つかわしくない。

この「本」だけは前の持ち主の趣味嗜好に共通点を発見できなかった。

 

いつもは眺めるだけで終わる三田だが、はじめて購入に至った。

研究室にある資料や世界中に散らばる文献と照らし合わさねば、その答えが導き出せない。

持ち帰らねば、買って帰らねばならない理由だった。

 

誰も解釈できていない初出の物。

歴史研究者たちにとってこれほどの好物はない。

テーマを与えられた研究者たちはこぞって持論を唱えた。

「本」は本ではなく、美術書と唱える者。デッサンや設計書と解釈する者。

画と解釈不能な数字の羅列、ときに計算式。

ほとんど文字を記されていない「本」の解釈は難解を極めた。

 

「本」の執筆者に至ってはさらに難解だった。

「本」には別紙が挟まれていた。それは「親愛なるビルへ」ではじまる英文で書かれた手紙であり「君の友、ジェイコブ・ロガビーン」と結ばれていた。

そこで「本」の執筆者はジェイコブであると結論づけられた。

 

手紙なのだから受け取ったであろうビルが「本」の執筆者であると考える一派も少なからずいた。

しかし「もし君が生きていたなら」という一文により、この手紙は宛名の人物、つまりビルへは届けられていないとする説が有力とされた。

 

また手紙は「本」に直接書かれたものではなく、別紙だったことから「本」の主人はビルでもジェイコブでもないと考える一派もいた。

しかし多くの筆跡鑑定人は、「本」と手紙の書き主は同一人物とみなすのがそぐわしいとの結論を出した。

掘れば出てくる考古学と違い、新しい文献はなかなか発見されない歴史学では大きな研究テーマとなり、難解であれば難解であるほど研究者を増やしていった。

 

ところがあるとき、突如として「本」が姿を消した。

 

ヒツジ飼いの冒険(第2話)へ続く

 

*ヒツジ飼いの冒険は毎週日曜日12:00公開を予定しています。

カヌーイストなんて呼ばれたことも、シーカヤッカーと呼ばれたこともあった。 伝説のアウトドア雑誌「OUTDOOR EQUIPMENT」の編集長だったこともあった。いくつもの雑誌編集長を経て、ライフスタイルマガジン「HUNT」を編集長として創刊したが、いまやすべて休刊中。 なのでしかたなくペテン師となり、人をそそのかす文章を売りながら旅を続けている。