ヒツジ飼いの冒険
第15話 祈り
昨夜は何度となく豪雨が襲ってきた。
よくバケツをひっくり返すような雨と表現されるが、この雨はバケツごと投げつけられるような、ずしりと重く暴力的だった。
まるで1時間おきにアラームをセットしているかのように、定期的に降雨があるので眠るに眠れない。
丘陵地に寝床を構えていたレオナルドだったが、万が一の増水に備え、深夜にヒツジたちを従えて少しでも小高い丘へと移動した。
ヒツジたちは雨の中の移動を苦ともしなかった。
同じように、レオナルドにとっても楽観視こそできないが、コンテナ船を幾度となく襲ってきた嵐に比べれば、堪え難い困難ではなかった。
ピアネータ号に乗船して、はじめて体験した嵐は、これまでに経験した何よりも恐ろしかった。
丘の上にいれば、雨と風に耐えればいい。
しかし海の上では、雨と風だけではなく、床までも揺れた。
それは嵐のあいだ中、ずっと続く大地震のようだった。
レオナルドは雨と風を恐れ、船内に閉じこもった。
廊下でむき出しとなった太い配管にしっかりと掴まり、無作為に揺れる船にじっと耐え、<嵐よ、収まってくれ>と心で祈った。
船はどちらが床で、どちらが天井なのかわからないほど揺れていたが、船長はそんな中でも平然と歩きまわっていた。
「ハーマン船長。危ないから、歩きまわらない方が」とレオナルドは大声を張った。
船長は宙に浮いているのではないかと思えるほど軽やか歩き、揺れの影響を受けずに近づいてきた。
「レオよ。おまえは神を信じるか」
こんな苦境のさなかに、また禅問答がはじまるのか。
いくら船に乗せてくれた恩人といえども、このときばかりは嫌気が差した。
「信じませんよ」
「じゃあ、誰に向かって祈った」
「誰にって・・・」
漠然と祈っていたので決まった神にではないと思うが、なにか神のような存在にすがっていたのは間違いない。
そんなレオナルドの心の動きを船長に見透かされていた。
「まあ、神を信じるか、信じないかはどうでもよい。ただし、海の上ではできることはなんでもやるのが海の男。祈るのも構わぬが、人が船に乗る前に離岸してはならんように、すべてには順序がある。それを間違ったらいかんのだ」
確かにいまできることは、祈ることだけではない。
「ハーマン船長、オレはなにをやれば」
「レオよ。海の男は困難なときにこそ諦めず、誰よりも動きまわるもんだ。」。船長はレオナルドに言い聞かせた。それは詩的でもあった「おまえはおまえのやるべき仕事をせよ。それはおまえだから、上手にやれるんだ(*)」
(*Buckets of rain=BOB DYLAN)
まだ嵐ははじまったばかり。
これから激しさを増すことが予想される。
レオナルドの仕事は、その本番の嵐に襲われる前に、積荷の安全を確保することだ。
コンテナ船の積荷はバランスよく積まれている。
もし積荷のどれかが崩れたら、船もろともバランスを崩す。
洋上で船がバランスを崩すということは、沈没するということだ。
「ハーマン船長。オレ、確認してきます」レオナルドは唸りを上げる風に負けないくらいの声を張り上げて甲板へと向かった。
雨風は激しく、人をめがけて打ち付けるのではないかと思うほどだった。
ただでさえ床が安定しないのに、甲板を洗う波は容赦なく足をすくい上げた。
嵐によって海を渡ってきた大木が甲板に乗り上げ、ゴロゴロと転がり、コンテナを叩いた。
人にぶつかったら、一瞬にして大海へと飛ばされるだろう。
そんな中で、レオナルドはやれることはなんでもやった。
行動しながらも、心で祈った。
嵐の去った翌日は雲ひとつない空はどこまでも透き通り、海面は残波で揺れ、眩しいほど太陽の光を乱反射させた。
レオナルドは山と積まれたコンテナの頂で寝転がった。
嵐の吹き返しが心地よく、眠気を誘った。
無理もない。昨夜は一晩中、船の内外を走りまわっていたのだから。
歳を召している船長がその頂へと上がってきて言った。
「天網恢恢疎にして漏らさず」
「ハーマン船長、それはどういう意味ですか?」
ある惑星の哲学者の言葉だとし、その意味を教えてくれた。
「海の男は、神を信じているってことだ」と船長は付け加えた。
レオナルドは丘の頂に、ヒツジを一頭残らず引き連れ、豪雨の夜をやり過ごした。
牧草の大海原に風の吹き返しが模様を描いた。
ヒツジは寝不足というのを感じないのだろうか。
その牧草の大海原へと、鈍足で歩みを進めた。
レオナルドは丘の上で横たわり、海の嵐を思い出していた。
ヒツジ飼いの冒険(第16話)へ続く
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*ヒツジ飼いの冒険は毎週日曜日12:00公開を予定しています。