BLUES,  FOOL,  TRIP

ひとり、山を歩きながら想うこと~法螺吹き男爵のFool on the Hill.

世界は、とんでもないことになってきた。
だれもが予測していなかった世の中に。
アメリカやスペイン、イタリアからのニュース映像は、現実離れしている。まるで、映画を観ているようだ。
地球上は、同時多発「鎖国」だ。
日本でも、緊急事態宣言が出された。
この国にも、いままでは空想だにしなかった現実が、しずしずと浸透してきた。

四月の半ば、外出の自粛がいわれる中、僕は、出かけることにした。
春の日差しを浴びながら、ひとりで山を歩くことにしたのだ。
不要で、不急かもしれないけど、「山で風に吹かれる」という時間が、僕は欲しかった。
行き先は、関東のウラヤマ。小さな縦走路。
日帰りではじゅうぶんに長い縦走路ではあったけど、日帰りトレッキングとした。たとえ日が暮れても、それほど危険な場所じゃない。夜の山もまた、なにかと気分がいいもんだし。

今回の旅の準備でスーパーマーケットへ行ったとき、インスタント食品やトイレットペーパーの棚が空っぽになっているのを見た。買いだめしたくなる人たちの気持ちはよくわかるけど、バックパッキング旅が好きでよかった、とあらためて思った瞬間でもあった。
日帰りでも、一か月を超えるような旅でも、バックパッキング旅の美しいところは、「自分が背負って歩ける荷物」だけで、いまを暮らすことだ。

ウヤラマ旅の持ち物は、日帰りということもあり、いたってシンプル。基本的なトレッキング装備だけ。
昼ごはんには、スタンレーのフードジャーにもち麦の雑炊を仕込む(和風味で)。食後の過ごし方として、深煎りのコーヒー豆と、手動ミル、ペーパードリップ(コーノ式)のセットを準備した。
山で、ゆっくり過ごしたいのだ。
いまさらだけど、じっくり考えたかったのだ。この時代ことを。知恵熱が、出るほどに。

自分でいうのもなんだけど、僕は、僕が生きていくことには楽観的で、地球環境に関してはネガティヴな思いをもっている人間なのだ。
温暖化やそれによる天災で、地球上での人類の滅亡は、案外、早く来るんじゃないかな、と感じている。それほど遠くない未来に。あと、40年ぐらいかな、と思ったこともある。
もちろん、根拠などない。ゲスな男の勝手な妄想である。

ところが、ここになって新型コロナウイルスがきた!
これほど身近に疫病があらわれるとは、僕ごときの浅はかな人間には、思いもつかなかった。
この先、コロナ禍はさらに世界の貧民層を襲うだろう。世界を、ますます困難に陥れるはずだ。
ここに天災が重なれば……。
人類は、あやういよな。

そんなことをつぶやきながら、急な登り坂を、喘ぎながら歩く。
久しぶりに大汗が噴き出してきた。
額や首筋、それにバックパックが張りつく背中は、シャワーを浴びたかのようだ。
でも、もともと汗かきの僕は、逆にいえば、いつも汗をかいていたい人間なのだ。汗をかく日常に、ほっとできるのだ。
この感触を忘れたら、だめだ。

わずかに自分自身を取り戻した僕は、一気に急斜面を登りきった。
標高1500メートルの稜線には、春の日差しがいっぱいだった。
そして、ご褒美かのように、冷たい風が全身を撫でていった。
バックパックをおろし稜線で大きく伸びをしたら、手のひらが青空に触れそうなほど、腕が伸びた。
僕は、こんな時間を望んでいたのだ。
こんなときのために、地球には、山があるんだ!
しっかし。これじゃやっぱり、楽観的すぎるよな。

帰り道。
僕は、ふたたびうつむき、歩き、悲観的になっていった。
コロナ禍は、いつまで続くのだろうか。
そしてそれよりも、歴史が語っているとおり、大きな災難が終息すると戦争がはじまる、という事態に、世界は進んでいくのだろうか、と。

 

旅作家を名乗り、海外へも旅立つが、知っている単語はBEERだけ。 それでもなんとか暮らせるので、今後もBEERだけ発音をうまくできれば大丈夫かな。  てなことを言ってるうちに月日は流れ、いまでは『いんちき仙人』をめざして邁進する毎日。 「かすみ」と「ビール(ついでにワインも)」があれば、生きていける。 と思ったけど、いまだに捨てられない煩悩が200個ほどある。 そんな日々を過ごしているいまとなっては、にわかに信じがたいが、『一人を楽しむソロキャンプのすすめ』(技術評論社)、『ホットサンド 54のレシピと物語』(実業之日本社)、『タルサタイムで歩きたい』(東京書籍)などなどの著作もある。