ヒツジ飼いの冒険
第5話 常識
まるで糊付けでされているのではないかと思うほど、しっかりと張り付いている別紙が最初と最後に1枚ずつ。
最後ページに張り付いた1枚を剥がそうと爪を立てると、少しだけめくれた紙の上部に「親愛」の文字が読み取れた。
手紙のようだ。
これは誰かが所有していたことのある古本だ。
その誰かの手紙を読んでもいいのだろうか。
レオナルドは躊躇し、別紙に気を向けないよう本紙をめくりはじめた。
描かれているのは、ほとんどが何らかの図版。
そして数字。
レオナルドにはそれが単なる数字の羅列ではなく、何の計算で導き出されたのかが手に取るようにわかった。
星の座標や風の向き、潮の満ち引き。磁石の偏差や気圧の偏差。
これが示すのは冒険に関わる数値だけでなく、惑星の成り立ち、自然科学、人の営み。
図版や数字に比べ、文字はあまり多くないが、どんな意図を持って描かれているかがある程度理解できた。
文字として一番多く登場するルカ。
著者の妻なのか、データを採取した共同制作者といったところだろう。
この本は森羅万象をテーマに書かれている物語のように思えたが、若くあまりに経験のないレオナルドには本当のことであるかは確信が持てなかった。
1足す1は2である。
これに疑いを持って論ずることは、レオナルドにとって容易いことだった。
常識と思って語られることのほとんどが、現状としてそのように理解した方が都合いいだけのこと。
それだけのことであって、レオナルドは疑うことを恐れず、それでいてあらがわず常識らしく扱うこともできた。
しかし本に書かれている数式は、「あの常識の応用だな」と理解して読み解くことはできるが、全文を通してみるとそれは本当のことなのだろうかと疑わずにいられなかった。
この本では1年が365・2425日と導き出すグレゴリオ暦が採用され、レオナルドはグレゴリオ暦の計算方法も理解していた。
グレゴリオ暦を用いれば400年に97日のうるう年を設定すれば、ほとんどの年は、1年365日と定義できる。
だがそれは計算上のことであって、400年も生きていたわけではないので本当に正解なのかわからない。
400年のことどころか1年にしたって、計算上は3155万6952秒あるというのを知っているが、時計を見つめて1年を過ごしたことがない。
寝ているあいだに、グレゴリオ暦が都合いいとする誰かが時計の針を動かしていないか。疑おうと思えば疑うことだってできる。
すべては誰かにとって都合いいように物事は書き換えられている。
その証拠にグレゴリオ暦のほかにユリウス暦なんてものもあり、いまの天文学では新暦であるグレゴリオ暦ではなく、紀元前に使われていた旧暦のユリウス暦を採用している。
この本の著者はグレゴリオ暦信者なのか、それともグレゴリオ暦が主だったときに書かれた書物なのか。
ひとつだけわかっていることは、時計を見つめて1年を過ごすことはできないが、この本に書かれていることを実行することで、本の内容に関しては正否を判断できる。
昼間、リンダとボートに乗ったことを思い返した。
その後、古本屋を探しに行ったときからがなんだか曖昧だ。
確かにあったはずの古本屋がない。
入荷したばかりというのに埃をかぶっていたこの本を手に入れたのに、リンダと一緒に戻るとその古本屋は風景から消えた。
レオナルドは手紙と予想できた紙とは別のもう1枚を少しだけめくることにした。
紙のほとんどは空白。
思い切って紙を広げるとそこには一行だけ記されていた。
「運命に従え」と。
ヒツジ飼いの冒険(第6話)へ続く
ヒツジ飼いの冒険(第1話)から読む
*ヒツジ飼いの冒険は毎週日曜日12:00公開を予定しています。